群馬大学は令和5年(2023年)をもちまして、本学の起源とする「小学校教員伝習所」設立から150年を迎えました。
「小学校教員伝習所」が開設された明治6年(1873年)は明治維新のただ中で、日本が近代国家へと生まれ変わろうとしている時でした。教育制度に関して言えば、明治4年(1871年)に文部省が設置され、明治5年(1872年)に初めての全国規模の近代教育法令である「学制」が公布されました。「学制」は身分の区別無く全ての国民が教育を受けられる学校を全国に設置するもので、群馬の地でも教員養成が急務となりました。このような経緯で「小学校教員伝習所」が設立されたのです。その後、大正4年(1915年)に「桐生高等染織学校」、昭和18年(1943年)に「前橋医学専門学校」が設立され、これら3校を継承する学校を包括して、昭和24年(1949年)に群馬大学が誕生しました。こうして本学は、群馬県の教育、産業、医療を支える人材を養成する機関として、今日までに約8万人もの学生を世の中に送り出しています。
産業革命、グローバル化、エネルギー革命、Society 5.0、SDGsなど、世の中は常に先へ進んでいます。本学も時代の変化に対応し、令和3年(2021年)に情報学部を新設し、理工学部を改組しました。その他、教員、医師、看護師、技術者などの専門家を養成する大学として、共同研究やリカレント教育などによる産業振興の要として、重粒子線治療を始めとする先進医療を提供する地域の中核病院として、地域と共に歩んできました。
世界に目を向けると、気候変動、パンデミック、軍事侵攻など不安に溢れています。グローバル化した社会では、日本から遠く離れた地域の問題であっても、地球上で共に生きる人類として共に協力しなければ明るい未来はありません。群馬大学も昨年ウクライナから4名の学生と1名の研究者を受け入れ、落ち着いて勉学?研究にいそしめる環境を提供しています。近い将来、彼らが祖国ウクライナの復興?再建に大きく貢献してくれること、また新生ウクライナと日本の交流の架け橋となってくれることを期待しています。
群馬大学はこれからも地域の発展と持続可能な社会の実現を目指し、我々の持つ教育?研究機能を最大限発揮し「地域に根ざし、知的な創造を通じて、世界の最先端へとチャレンジし、21世紀を切り拓く大学へ」成長し続けます。
今般、群馬大学は、創基150周年を祝います。
各学部の設置の経緯はそれぞれですが、これがひとつの新制大学=群馬大学としてまとまり、今日を迎えていることには、大きな意味があると思います。
近代日本の出発にあたり、新たな時代を切り拓くには国民に広く教育を普及すべし、そのためには優れた教師の育成が必要であるとして、いち早く教員養成機関が設けられました。近代国家としての日本を支える人材育成の体制が整ったのを基礎として、近世以来の地域の産業の強みを生かしつつ新時代の産業を確立するため、桐生に官立高等染織学校が設置され、さらに、近代国家への脱皮が一応成って、国民の健康福祉にますます目が行くようになった時勢下において前橋医学専門学校が生まれました。第二次世界大戦後、日本が再出発するにあたり、これらの流れがひとつになり、群馬大学として立ち上がったのです。その後も、時代に要請に応えて、今の医学部保健学科?情報学部?生体調節研究所等の機構?センター等につながっていく諸組織も続々生まれていきました。
時は移り、世界は近代国家日本が誕生した頃に匹敵する激動と変革の時代を迎えています。この機にあたり、各学部がさらに一体となり、さらにはあらたな学際的?融合的な知の拠点へと発展していくマイルストーンとして 、150周年が位置づけられていくことでしょう。